手持ちの靴を棚卸してみませんか。
天気が良く何の予定も入っていない、そのようなとき保管している靴を出してみましょう。 取り出していると、それぞれにいろんな思い出がよみがえってきます。 中には1回だけ、または2〜3回履いたかな?と思う靴もあるでしょう。 なぜ履く回数が少なかったのか、そんなことを覚えていることはほとんどない、しかし履いてみるとすぐに思い出すものです。 きつすぎた、また靴ずれで痛い思いをした、中にはデザインが気に入り弾みで買ってしまった靴、など。
履いてみると想い出すとは不思議なもので、痛かったときのシーンまでまざまざと覚えているものです。 靴の感触は頭より足が覚えているのかもしれません。
下記の写真は、ひものついている靴ばかり。 それも茶系ばかり、風合いがそれぞれに違いがあり革はいいものです。 これ以外に黒い靴や、朝のラジオ体操用、サンダル、そしてコンビニ用のスリッポンの靴や草履や雪駄があります。最近増えているのがスニーカーです。
靴の棚から出してみると、同じような靴を選んでいることや毎日同じ靴ばかり履いていることに気がつきます。
それから足を通して少し歩いてみると靴内の硬さが直感的に伝わってくる靴があります。 特に長い間使用していない靴ほど革や部品が硬化しているもの。 またウレタンソールなどは履いて歩いてみて初めて劣化に気が付くことがある。
ウレタンに関わらずすべての靴のソールを曲げてみましょう。 中には接着剥がれに気づくことがある。
ここで、長年履いていない靴、かなり履き古したもの、内張りが硬くなったもの、履いて痛い靴、ソールが劣化した靴は処分しましょう。
しかし実際処分することはなかなか簡単ではありません。 その要因はいろんな想い出が錯綜し未練?や楽しい思いが付いて回るからでないでしょうか。 それから「もったいない精神」でしょうか、素材が革だけに手放したくない、そして金額が高いことも多分に影響するようです。
すべての靴を古い順から一堂に並べてみると、長年の歩みの変化がみえるものです。
年齢と共に軽くてやわらかい靴になっていること、また自分の好み(色やデザイン)が変化していることに気が付くことがある。 この頃パンプスを履かなくなったなと気づく人もいるでしょう。 それから靴にも流行があることが発見できます。
靴のキズや傷みがどの靴も同じところに発生しているという人もいる。 そのときはぜひシューフィッターに相談をしてみましょう。
靴の棚卸などやったことがないという人ほどいろんなことに気づくものです。 靴磨きもしてみましょう。 たまに暇があるということはいいものです。
シューフィッター 大木金次
2020年09月05日
2021年09月05日
靴の傷みは足の痛み
疲れは足もとからとよく言われます。 長時間の仕事の中で感じるのは座った時です。 それまでは何とか持ちこたえようとして頑張っていたものの、目の前にイスがあるとつい座ってしまう。 そして座った直後どっと疲れを感じて足を投げ出してしまう、そのような姿を時折見受けます。
足は身体の最下位にあり全身の体重を一手に引き受ける土台です。 しかも歩行するための運動器官で毎日お世話になっている足、時には疲れが出ることはやむを得ません。 そして足を補佐するような靴は一心同体のようでもあります。
「老化は足から」そんな言葉を思い出しますが、自分自身の足を自分でコントロールする難しさを啓発しているような言葉です。 ただ科学の発達した社会なのに、足もとの啓発には大変な時間を要しています。 その要因は多義にわたりますが、その最もなことは足に靴がフィットしているか?ということです。 気に入った靴を履きたいという心理は誰にでもあります。 好きな靴を履きたいという思いは悪いことではありませんが、その前に足に合うという前提をクリアする必要があります。
疲れた時の反応の多くは足に現れることが多く、そのため靴を脱いでしまうことが多いようです。 さらに疲れが強くなると、思考力も極端に低下し靴への配慮もなくなってくる。 もし靴が疲れの元になっているとすれば、疲れが解消した後日でも履いていた靴のフィッテングについて、シューフィッターに相談する時間をもってほしいものです。
「秀吉の草履取り」を思い出すことがあるが、秀吉は草履取りで天下人になったとも言われます。 その昔、草履やワラジは非常に重要な履きものであったこと示すような話です。 ただ履きものの大事さに誰も気がついていず、秀吉(藤吉郎)だけが感じていたのかもしれません。 その時の殿様もえらいですね。
最近履きものが大事であるという認識がますます高くなってきています。 ただその大事さ重要さについて気がついている人はまだまだ少数のようです。
足もとをしっかりコントロールできなければ疲れは上半身に及び、靴自身の消耗も激しくなる。 少し大げさですが、靴の傷みは身から出た錆(さび)かもしれません。
「靴の傷みは足の痛み」ずいぶん以前からそんなことを考えていましたが、だんだんその思いが強くなってきました。 (写真は足の疲れの一例です)
シューフィッター 大木金次
足は身体の最下位にあり全身の体重を一手に引き受ける土台です。 しかも歩行するための運動器官で毎日お世話になっている足、時には疲れが出ることはやむを得ません。 そして足を補佐するような靴は一心同体のようでもあります。
「老化は足から」そんな言葉を思い出しますが、自分自身の足を自分でコントロールする難しさを啓発しているような言葉です。 ただ科学の発達した社会なのに、足もとの啓発には大変な時間を要しています。 その要因は多義にわたりますが、その最もなことは足に靴がフィットしているか?ということです。 気に入った靴を履きたいという心理は誰にでもあります。 好きな靴を履きたいという思いは悪いことではありませんが、その前に足に合うという前提をクリアする必要があります。
疲れた時の反応の多くは足に現れることが多く、そのため靴を脱いでしまうことが多いようです。 さらに疲れが強くなると、思考力も極端に低下し靴への配慮もなくなってくる。 もし靴が疲れの元になっているとすれば、疲れが解消した後日でも履いていた靴のフィッテングについて、シューフィッターに相談する時間をもってほしいものです。
「秀吉の草履取り」を思い出すことがあるが、秀吉は草履取りで天下人になったとも言われます。 その昔、草履やワラジは非常に重要な履きものであったこと示すような話です。 ただ履きものの大事さに誰も気がついていず、秀吉(藤吉郎)だけが感じていたのかもしれません。 その時の殿様もえらいですね。
最近履きものが大事であるという認識がますます高くなってきています。 ただその大事さ重要さについて気がついている人はまだまだ少数のようです。
足もとをしっかりコントロールできなければ疲れは上半身に及び、靴自身の消耗も激しくなる。 少し大げさですが、靴の傷みは身から出た錆(さび)かもしれません。
「靴の傷みは足の痛み」ずいぶん以前からそんなことを考えていましたが、だんだんその思いが強くなってきました。 (写真は足の疲れの一例です)
シューフィッター 大木金次